行政書士 民法 問59:不法行為・過失相殺・損益相殺
Aは自動車を運転中、信号無視をして道路を横断していたBに衝突し、Bに重傷を負わせた。Aの過失は80%、Bの過失は20%であった。不法行為の損害賠償における過失相殺および損益相殺に関する次のア〜オの記述のうち、**正しいもの**はどれか(現行民法に基づいて答えること)。
- ア過失相殺(民法722条2項)において、裁判所は被害者Bの過失を必ず考慮して損害賠償額を減額しなければならず、裁量の余地はない。
- イBの損害額が合計1,000万円と認定された場合、過失相殺後の損害賠償額はAの過失割合(80%)に相当する800万円となる。
- ウBが自動車保険から1,000万円の保険金を受領した場合、Aに対する損害賠償請求から当該保険金額が控除される(損益相殺)のが原則である。
- エBに損害発生・拡大に寄与した「素因(Bの既往症・体質的脆弱性)」がある場合、裁判所はこれを過失相殺の規定を類推して損害賠償額を減額することができる。正答
- オAがBに支払った慰謝料の額は、AおよびBの社会的地位・財産状況・過失の程度等の諸般の事情を考慮して裁判所が裁量的に決定できる。
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エが正しい記述です。被害者に「素因(既往症・心因的要因・体質的疾患等)」があって損害の発生・拡大に寄与した場合、最高裁は722条2項の過失相殺規定を「類推適用」して損害賠償額を減額することを認めています(心因的要因について最判昭和63年4月21日、被害者がり患していた疾患という身体的素因について最判平成4年6月25日)。これを「素因減額」といいます。アは誤りで、722条2項の過失相殺は「裁判所は…考慮することができる」という裁量規定(「しなければならない」ではない)。イは正しい方向性ですが、過失相殺の計算は「Aの過失80%の部分について責任を負う」ではなく「Bの過失(20%)分を減額する」という形で行われることが多く、合計1,000万円×(1-0.2)=800万円という計算式が一般的ですが、Aの責任は「損害全額(1,000万円)からBの寄与分を差し引いた額」という説明もあります。ウは誤りで、自分で掛けた自己の任意保険(被害者保険)から支払われた保険金は損益相殺の対象とならないのが判例の立場(損益相殺の対象は「同一の原因から生じた利益」)。オは慰謝料の算定として正しいが、標準的な慰謝料額の相場(後遺障害等級・通院期間等の基準)を無視するものではありません。
エが正しい根拠を確認します。最高裁は、加害行為と被害者がり患していた疾患とがともに原因となって損害が発生し、加害者に全部を賠償させるのが公平を失するときは、722条2項の過失相殺の規定を「類推適用」して被害者の疾患をしんしゃく(減額)できるとしています(最判平成4年6月25日・民集46巻4号400頁=身体的素因)。また心因的要因が損害の発生・拡大に寄与した場合も同様の類推適用が認められます(最判昭和63年4月21日・民集42巻4号243頁)。これは「被害者の過失」(行為的過失)ではなく「被害者の素因(疾患・心因等)」を考慮して公平の観点から賠償額を調整する制度です。なお、被害者の身体的特徴が「疾患」にあたらず通常の個人差の範囲内にとどまる場合(例:首が長い等)は、原則として減額の対象にならない(最判平成8年10月29日・民集50巻9号2474頁)。アについて、722条2項は「裁判所は…損害賠償の責任及びその額を定めることができる」として裁量規定。「しなければならない」(義務)ではなく「できる」(裁量)。ウについて、損益相殺の対象となるのは「不法行為と相当因果関係に立つ利益」であり、被害者が自己の負担で加入した任意保険(生命保険・傷害保険等)の保険金は「被害者が保険料を支払って取得した利益」として損益相殺の対象にならないとするのが判例(保険金は損益相殺不可)。社会保険(健康保険・労働者災害補償保険等)の給付については損益相殺の対象となる場合があります。イは概ね正しいが計算の説明方法の正確性に注意。オは慰謝料の算定は裁判所の裁量的判断によるが、実務上は交通事故の場合に後遺障害等級・通院期間等に基づく標準的な算定基準(赤い本・青い本等)が参照されます。
【理論的背景】
過失相殺(民法722条2項)は、被害者にも過失がある場合に「損害の公平な分担」の観点から損害賠償額を減額する制度です。同条は「被害者の過失」を考慮して裁判所が裁量的に賠償額を定める旨を規定します。素因減額(判例法理)は、722条2項の類推適用として「被害者の行為的過失ではなく体質・既往症等の素因」が損害の発生・拡大に寄与した場合の減額を認めるものです。損益相殺は、不法行為によって被害者が損害を受けると同時に利益も受けた場合に、公平の観点から利益を損害から控除する制度です。どのような「利益」が損益相殺の対象となるかは判例によって精緻に判断されており、特に「任意保険金は損益相殺不可・社会保険給付は原則可」という区別が重要です。
【条文構造の精密な理解】
- 722条1項: 不法行為の損害賠償額は、被害者の損害を賠償すべき範囲(416条類推・相当因果関係の範囲)で決定。
- 722条2項: 過失相殺→「被害者に過失があったとき」に裁判所は賠償額を定める際に被害者の過失を考慮することができる(裁量規定・アの誤りの根拠)。
- 素因減額(判例法理): 722条2項類推適用→被害者の素因が損害の発生・拡大に寄与した場合に減額可(エの根拠)。心因的要因=最判昭和63年4月21日、身体的素因(疾患)=最判平成4年6月25日で肯定。ただし疾患にあたらない通常の身体的特徴は原則減額不可(最判平成8年10月29日)。
- 損益相殺の対象:
- 対象外(損益相殺不可): 任意保険(生命保険・傷害保険・賠償責任保険等の被害者が加入したもの)、香典・見舞金等。
- 対象(損益相殺可): 社会保険給付(健康保険・労働者災害補償保険等)の本来の保険給付の多くは対象。ただし労災保険の特別支給金は損害の填補を目的としないため損益相殺の対象とならないとされる。厚生年金・遺族年金等は一定の調整がある。
慰謝料の算定(710条・711条):裁判所の裁量的判断によるが、実務上は後遺障害等級・通院期間・死亡事案の算定基準(逸失利益・慰謝料の相場)が参照される。
【試験での位置づけ】
行政書士試験における過失相殺・損益相殺の典型的な出題パターンは、(a)過失相殺の裁量性(「できる」=裁量・「しなければならない」=義務ではない・アのような問題)、(b)素因減額の判例(722条2項の類推適用・エのような問題)、(c)任意保険と社会保険の損益相殺の取扱い(ウのような問題)、(d)慰謝料の算定の裁量性(オのような問題)の4パターンです。特に(a)の「過失相殺は義務か裁量か」と(b)の「素因減額(判例法理)」は行政書士試験・法律系試験の重要論点として繰り返し出題されます。
【各選択肢の発展補足】
- ア: 誤り。722条2項「裁判所は…考慮することができる」は裁量規定。被害者の過失が著しく少ない場合や損害の発生との因果関係が薄い場合には裁判所が減額しないこともある。「必ず…しなければならない」は誤り。
- イ: 正しい方向性だが計算の表現に注意。過失相殺後の計算は「損害全額×(1−被害者過失割合)」の式で一般的に表現。1,000万円×(1−0.2)=800万円というのは正しい計算。ただし「Aの過失80%に相当する額」という表現は「被害者の過失20%を控除した残額」と同じ結果ではあるが、説明の観点が若干異なる。
- ウ: 誤り。被害者が自己の保険料で加入した任意保険(傷害保険等)から受領した保険金は、「不法行為と相当因果関係に立つ利益」ではなく「保険契約に基づく利益」として損益相殺の対象外。任意保険金を損益相殺すると被害者が自己負担で支払った保険料の恩恵がなくなる不公平が生じるため、判例は損益相殺不可としている。
- エ: 正しい(正答)。最判昭和63年4月21日(心因的要因)・最判平成4年6月25日(身体的素因=疾患)により、素因が損害の発生・拡大に寄与した場合に722条2項の類推適用による素因減額が認められる。素因減額の要件:(1)損害の発生・拡大への素因の寄与、(2)当該素因が「疾患」等であり、通常人が通常負うべき範囲を超えること。なお被害者の身体的特徴が疾患にあたらず通常の個人差の範囲内なら原則減額不可(最判平成8年10月29日)。
- オ: 正しい方向性。慰謝料の額は裁判所の裁量的判断による。過失の程度・被害の程度・加害者・被害者の社会的地位・財産状況等の諸事情を総合考慮して算定。ただし実務上は算定基準(交通事故の場合の赤い本等)が参照されるため、完全に裁判所の自由な裁量ではない(事実上の基準拘束)。
【根拠条文】
民法 第722条第2項(過失相殺・裁量規定)
民法 第710条(財産以外の損害・慰謝料)
【参照判例】
心因的要因による素因減額(最判昭和63年4月21日・民集42巻4号243頁)
身体的素因(被害者がり患していた疾患)による素因減額(最判平成4年6月25日・民集46巻4号400頁)
疾患にあたらない通常の身体的特徴は原則減額不可(最判平成8年10月29日・民集50巻9号2474頁)
(任意保険金が損益相殺の対象とならない点は通説・判例上の整理)
【補足】
過失相殺は「裁量規定(できる)」であり義務(しなければならない)ではない。素因減額(722条2項の類推)は判例法理として確立(心因=最判昭63.4.21、身体的素因=最判平4.6.25。ただし疾患でない通常の身体的特徴は原則減額不可=最判平8.10.29)。任意保険金は損益相殺不可(被害者保護)・社会保険給付は原則損益相殺可の区別を押さえること。
本問は合格ナビが作成したオリジナル問題です(過去問の転載ではありません)。 根拠・出典:根拠: 民法 第722条第2項・最判昭和63年4月21日(心因的要因)・最判平成4年6月25日(身体的素因)等(過失相殺の類推適用・素因減額) 現行法(2026年度基準)に準拠し、根拠条文・判例を明記しています。